連載 No.37 2016年08月28日掲載

 

白い鳥が浮かんだ山道の斜面


写真部でクラブ活動していた高校時代。

口コミや行きつけのカメラ店の紹介で、結婚式やお店のイベントなど、

カメラマンのアルバイトをいろいろと経験することができた。

一般的なアルバイトから比べると割が良いし、

紹介してくれるカメラ店もバイト代でカメラやフィルムを買ってくれるわけだから、

悪い話ではなかったと思う。



特に記憶に残っているのは、新聞社のカメラマン。

夏の甲子園県予選を撮影するアルバイトだ。

予選開催中は毎日出社して、試合が終わると新聞社の暗室で現像して写真を選ぶ。

「高校生が撮影する高校野球」と言うようなイベント的なものではなく、本格的なアルバイトだったと記憶している。

現像したばかりのフィルムをアルコールに浸して乾燥させ、すぐに焼きつけ、写真に添える説明文を書く。

野球のルールや用語も勉強した。

報道の現場を感じられる貴重な体験だった。



大学で写真を学ぶようになると、写真関係のアルバイトも選択肢がぐっと広がった。

カメラマンよりも大掛かりな撮影に助手として参加するほうが面白い。

広告の商品撮影の緻密さ、スタッフが多いファッション撮影でのモデルとのやり取り、建築撮影での光の作り方。

最初は右往左往していたが、いろいろな現場を経験すると、カメラに触れない下っ端アシスタントでも、

大きな仕事に参加している満足感を得られた。



少なからず技術も学べたが、自分はアーティスト指向が強かったので、

広告のアシスタントをしていることが妙に恥ずかしく、同級生にすら隠していたこともある。

そんな後ろめたさを感じていたからだろうか、卒業後はさまざまな写真の仕事に関わったが、正社員の経験がない。

いわゆるフリーのカメラマンで、フリーのアシスタント。

30歳で事務所を構えるまでは、多くの写真事務所でカメラマンのアシスタントをこなした。



アルバイトのフリーターとは違い、フリーランスは実力の世界である。

どこの会社でも最初は一番下から仕事を学ばなければならない。

その反面、フリーランスは実力さえあれば先輩を追い越しても構わないし、

社員のしがらみで上下関係にこだわる必要もない。



今回の写真は1984年、アシスタント真っ盛りの頃の作品だ。

栃木県奥日光に向かう細い山道、

コンクリートで固められた斜面に、鳥が羽ばたいているような模様が白く浮かび上がっていた。

見通しの悪いカーブで、車が来ないことを祈りながら撮影した。

小型の6X6センチのカメラにアメリカから輸入した超微粒子のフィルムを使用している。



当時勤めていたスタジオでは、こういう写真を撮っていることは人に話さなかった。

学生の頃とは違い、芸術家志望が恥ずかしい、そんな時代だった。